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平良 彦太 さん/ダンサー/振付家・演出家平良 彦太 さん プロフィールプロフィール
那覇市出身。ロンドン、セントラルスクールオブバレエ卒
ローザンヌ国際バレエコンクールなどに出場し、香港バレエ団ソリスト、
カナダ、モントリオールのレグランバレエカナディアンでプロバレエダンサー
として世界各国で公演。
2013年、那覇市泉崎にT.DANCE FACTORY開校
-セントラル・スクール・オブ・バレエを選ばれたご理由を教えていただけますか?
平良彦太 僕が中学生の時にたまたまテレビで観た、世界の様々な学校教育を取り上げるドキュメンタリー番組がきっかけです。その番組のイギリスの回がバレエ学校、セントラル・スクール・オブ・バレエの生徒の日常を追ったものだったのです。それを見て、「ああっ、いいなあ」と思って、そのままそのセントラルに行くことに決めたっていう感じです。
-オーディションは日本ではなく、実際に現地に行かれたのですか? 
平良彦太 いえ、セントラルの先生方が東京にいらして、僕は上京して、オーディションを受けました。
-セントラルでは、バレエとかコンテンポラリーなど様々なレッスンを受けられたかと思うですが、それまでには、日本ではモダンとかバレエ以外の踊りのご経験はございましたか?
平良彦太 いえ、やってなかったですね。
-新しいジャンルの踊りに対して抵抗はございませんでしたか? 
平良彦太 そうですね。最初の頃のコンテンポラリークラスでは先生に、プリンスって呼ばれてからかわれていました(笑)。凄い身体を引き上げて優雅に立っていたので(笑)
-セントラル・スクール・オブ・バレエへは何年通われましたか? 
平良彦太 3年間です。
-先程、中学の頃に、テレビ番組をご覧になってとおっしゃっていましたけど、行かれたのは高校の年代からですか? 
平良彦太 中学を卒業してすぐですね。
-お一人で行かれて、ホームシックや現地で困った事などはございませんでしたか? 
平良彦太 はい。やっぱり最初の頃は、言葉も通じませんし、当時はそれこそインターネットも普及してなかったので、頻繁に家族とのやり取りもできませんし、寂しかったですね。
-ホームステイをされていたのですか?
平良彦太 しばらくホームステイ的なことをしていたのですけど、すぐ学校の近くのYMCA。所謂、寮みたいなやつですね。学校の寮ではなくて、いろんな学生がステイしている所に泊まりました。
-YMCAにはどれくらいいらっしゃいましたか?
平良彦太 卒業するまでいましたね。
-そこで、お食事とかも朝と夜出るとかっていう感じですか? 
平良彦太 そうです。そんな感じです。はい。
-初めの頃は、言葉がなかなか通じないとおっしゃっていましたが、日本にいらっしゃる時に、中学校の英語以外に何かお勉強とかはされていましたか?
平良彦太 自己流でやっていました。でも、そんなすぐには太刀打ちできないというか、現地の生の発音とかはすぐには対応できなかったですね。
-コミュニケーションに困らなくなるのには、大体どれぐらいかかりましたか? 
平良彦太 最初の1年ぐらいはかかっていたのでしょうね。気がついたらって感じだったので、あんまり、ここだっていう感覚はないのですけど。
-1年ぐらいしたら、クラスメイトと普通に会話できたということですか? 
平良彦太 そうですね。なんとなくコミュニケーションがとれているような感じになっていました。
-日本でのレッスンのスタイルと、セントラルでのレッスンで大きな違いなどあったら教えて下さい。
平良彦太 セントラルの最初の数ヶ月は、ほんとに基礎的なことばかりでしたね。それまで日本の教室では、細かく基礎をというよりは、ビデオを観て発表会の振り移しをしたり、見よう見まねで色んなヴァリエーションを踊ったりしていたので、そこそこ踊れているつもりでいたんですけど、そこでもう一回基礎から学び直すと、凄い自分が下手になったような気がしたのを凄く覚えていますね。なんかプリエひとつ取っても今までのやり方だと違和感があったり、「タンジュの足の出し方もこんな甘かったんだなあ」とか思ったり、そんなのを痛感した記憶はありますね。
-セントラル・スクール・オブ・バレエのカリキュラムの中に、パドゥドゥなどもあったかと思うのですが、何か苦労された点、もしくは学びはあったなと思うところはございましたか?
平良彦太 パドゥドゥはほんとにそれこそ日本では先生にきちんと教わったことがなかったので学校で学べて楽しかったですね。ちゃんと女性のバランスをオンにしたりオフにしたり、そういう基礎から学べたのでよかったです。
-その他どんなカリキュラムがありましたか? 
平良彦太 セントラルはロンドンという土地柄もあって、ウェストエンドのミュージカルシアターに卒業後、就職する生徒も少なくなかったので、シアターダンスとかジャズ、僕らの頃は歌もやりましたね。ミュージカル「シカゴ」に出演している卒業生がフォシースタイルのジャズを教えに来てくれたりしましたね。
-ボディーコンディショニングとかピラテスみたいなのもございましたか?
平良彦太 ありました。ピラテスとか、あとは小ちゃなジムがあって、そこで先生と一緒に筋トレじゃないですけど、体の筋肉の使い方のトレーニングみたいなのもありましたね。
-学校は朝9時ぐらいから始まる感じですか?
平良 彦太 さん/ダンサー/振付家・演出家 
平良彦太 はい。そうでしたかねえ。なんか早かった記憶あるなぁ。8時半とかから始まっていたかもしれないですね。
-夕方は何時くらいまで学校にいらっしゃいましたか? 
平良彦太 一番遅いと、最後のクラスが18時まであったような気がしますね。ずーっと一日中授業があるわけではないですが、クラスによってはだいぶ空き時間があって夕方に受けるという日もあったのですけど。
-発表とかアセスメントとか試験みたいなのが定期的にあったかと思いますが、何か踊られましたか? 
平良彦太 クラッシックでライモンダとか、あと僕がやった時はブルーバードのソロとかもやったかな。
-それは年に1回ですか?
平良彦太 年に2回だったと思います。
-卒業年度には、作品とかをやるという感じですか? 
平良彦太 セントラルは、3年生になったらイギリス国内で公演して回るのです。所謂ツアーですね。3年目の前半にリハーサルを重ねて、後半はイギリス国内20カ所くらい回るのです。その後に、ロンドンの凱旋公演をやって、それがそのまま卒業公演につながるという流れですね。
-セントラルは何クラスぐらいに分かれていますか?
平良彦太 男子と女子に分かれているだけです。何人ぐらいいたかな?僕の時は。男子が7名ぐらいだったかな?そんなにいなかった記憶がありますね。女子は12〜3人いたんじゃないですかね。 
-日本人の方はどれぐらいいらっしゃいましたか?
平良彦太 僕の学年は、男子が僕1人で、女子が4人いたかな。みんなオーディションの時に初めて会った感じでしたね。
-日本全国から集まってという形ですか? 
平良彦太 はい。北は北海道、南は僕、沖縄みたいな感じでしたね。
-3年間の中で印象的だった出来事などございましたら教えて頂けますか?
平良彦太 アデリンジェニー国際バレエコンクールで銀賞と観客賞を頂いていたことですかね。銀賞ももちろん嬉しかったんですけど観客賞が特に嬉しかったですね。「この世界でやっていっていいよ」ってお客さんに認めてもらえた気がしました。それと僕、小林十市さんが大好きだったので、十市さんもこのコンクールで、受賞されていたことを知ってそれも凄く嬉しかった記憶があります。十市さんは金賞でしたけど(笑)
 
-その後、ご卒業されて、まずは香港バレエに行かれたと思いますが、オーディションは、ご自身で探されたのですか?それとも、セントラルの先生からのお勧めとかですか?
平良彦太 卒業前も卒業後もバレエ雑誌などに載っているオーディションで興味があるものはできるだけ受けにいくようにしていましたし、セントラルの先生が推薦状を書いてくれたりもしたのですが、なかなか仕事が決まらなかったのです。結局、学校が「もう一年分、学生ビザを出してあげるからじっくり腰を据えてオーディションしたら?」と言ってくれたので、日本食レストランでアルバイトをしながらチャンスをうかがうことにしたのです。
香港バレエが決まったのは本当に偶然で。ある日、いつも行っていたオープンスタジオにバレエクラスを受けに行ったらそこが香港バレエ団のオーディション会場になっていたという(笑)。
あまりに突然のことで緊張する暇もなく、それが良かったのかその日のうちに契約書をいただきました。
-その後、プロとしてのキャリアを積まれると思いますが、お仕事をされていく中で、感じた事はございますか?
平良彦太 学生のうちはみんな助けてくれるんです。先生も生徒を助ける為にいるのですけど、プロになってからは、バレエマスターとか講師はいますけど一人一人にしっかり構ってくれるわけじゃない、そのとき向かっている舞台を成功させる為にみんないるっていう感じですかね。その違いはありますね。
-カナダ モントリオールの方に移られるかと思いますが、どういったご経緯で移動されたのですか? 
平良彦太 クラシックからコンテンポラリーにスタイルを変えたかったのです。当時27歳だったのですけど年齢的にもここがダンサーとしての環境を変えるラストチャンスかなと思って。
そこから働いてみたいバレエ団をいくつかピックアップして、香港バレエ団にも事情を説明して3週間くらい休みをもらってからオーディションをして回りました。
モントリオールのレ・グランバレエは自分の中で第一志望だったので嬉しかったですね。
-カナダのモントリオールというとフランス語圏ですし、またちょっとカラーが違うかとは思うのですが、実際にお仕事されていて、何か感じたこととか、ご自身が目指されていたコンテンポラリーを踊ることになって、変わられた事とかって何かあったら教えて下さい。 
平良彦太 クラッシックのカンパニーになってしまうと、ある程度、同じ型のダンサーを求められるんです。だけど、レ・グランに行った時に新鮮だったのは変な話、いろんな形のダンサーがいて(笑)、毎日のトレーニングクラスはバレエだったんですけど、もうなんかみんなそれぞれの踊り方をしているのです。それが凄く楽しかったですね。モントリオールという土地柄、ヨーロッパから来ているダンサーも多かったし、芸術監督のグラジーミル・パンコフ氏もずっとヨーロッパで活躍していた方だったので、そのコネクションで向こうの大御所や新進気鋭の振付家達の作品に触れることができたのは僕の中で財産になっていますね。
-イギリス、香港、そしてカナダと行かれて、様々なダンサー達と学ばれてお仕事をされていらっしゃったかと思うのですけれど、まず、ロンドンに行かれて、日本のダンサーと外国のダンサーの大きな違いとかって感じられましたか? 
平良彦太 そうですね。10代の頃って、日本人のダンサーの方がテクニックあるんですよ。って言うのは、みんな、それこそ僕がやっていたみたいにビデオを観たりとか凄く研究して、たくさん回れたりとか高く飛べたりとかするのですけど、あっちの人は成長が遅いのですよね。なんですけど、バレエ団に入った後に、彼らは伸びていくっていう印象ですね。学生の頃は、ほんと学生的な踊りをしているのですけど、何年か後に再会した時に、「わあっ、この人こんなになっている」とか、そういう驚く機会が多かったです。
-今度、香港でのお仕事を通じて、中国の方とか香港のダンサーと日本のダンサーでは何か違いなど感じられましたか?
平良彦太 そうですね。中国の本土の方から来ていたダンサー達は、いい意味でしっかりプライドを持っていた感じがありますね。彼らは国に選ばれてやってきた人達ですから。
ヨーロッパのダンサー達とはまた違うプロフェッショナリズムみたいなものを感じましたね。
-帰国されて、今はご自身のスタジオをお持ちで、ディレクターとして代表としてご活躍されていますが、今度はダンサーとしてではなく、指導やダンサーを使う立場という中で、今のダンサーに求めるものはなんですか?
平良彦太 ダンサーに求められるクオリティーが凄い高くなってきていると思うのですよ。昔はクラッシックが出来ればこの人クラッシックで、コンテンポラリーが出来れば、この人コンテンポラリーでって、カンパニー内でも役割分担があった感じなのですが、今は世界的にもバレエ団の規模が縮小傾向にあることもあってマルチなダンサーが重宝される。順応力っていうことですかね。
-日本もいろんなバレエ団があると思いますが、なかなかお仕事として確立するのが難しいのが現実だと思います。その点、北米含めヨーロッパのように今後の日本のバレエ界というか、どういう風にしていくべきだとお考えですか?
平良彦太 難しいですよね。なかなか簡単に答えられる問題ではないですね。いろんな事情が絡み合っていると思いますし...。例えば洋舞っていうことでね、もともと日本のものじゃないっていう扱いがどうしてもあると思うんです。「お能とか歌舞伎とかそういうものに比べると、ちょっと大きな顔できないのかなあ」とも思ったり、僕はコンテンポラリーダンスはその土地その土地でいろんなスタイルが出来てくるから面白いなあと思ってるんですけど、国民性というかね。これはNoismの芸術監督の金森嬢氏の言葉の受け売りなのですがダンスに関わる人達が、「分かる人だけ分かればいいんだよ」っていうスタンスじゃなくて、もっと門口の広い活動をしていくしかないんじゃないかと思います。例えば、コンテンポラリーダンスという言葉一つ取ってもダンスをしてない人にはまったくピンとこない。だから、「コンテンポラリーダンスっていうのはこういうものなんだよ」っていうこと、「なぜこれが社会にとって必要なものなのか」ということをきちんと自分の言葉で説明できるだけの知識とか言葉を勉強していかなければと考えています。
-ありがとうございます。最後に一つだけ伺いたいと思いますが、今後、留学を目指す若いダンサーに、何かアドバイスがございましたらお願いします。
平良 彦太 さん/ダンサー/振付家・演出家平良彦太 とにかくチャンスがあったら、いろんなものを見て欲しいですね。踊りはもちろんですけど、お芝居とか美術館とかも。やっぱり、僕が学校で学んだこと同じぐらい、イギリス時代は劇場から、そして街から学んだなあって思っているので。セントラルの近くにサドラーズウェルズっていう劇場があって、世界のいろんなバレエ団が毎週末のように来ていました。それを学割で観られるという今思えばとても贅沢な環境で(笑)。そういうチャンスがあったら、いろんなものを観てなんでも吸収したらいいと思います。僕自身、当時味わった感動が、「いつか自分もそういう感動を人に与えられるようになりたいな」っていう風に、活動していく上でのモチベーションになってると最近つくづく思うんです。将来、ダンサーになりたいのであれば学生のうちに「ダンス」でたくさん感動してほしいなと思いますね。
-本日はお忙しいところいろいろと貴重なご意見をどうもありがとうございました。