平櫛安子氏、洲和みち子氏、橘秋子氏、小牧正英氏に師事
チャイコフスキー記念東京バレエ学校1期生
メツセレル、ブアルラモフ、スミルノフ、スミルモワ、タラ・ソワらに学ぶ
フランス、パリに渡り、セルジュ・ペレッティ、ミシェル・レズニコフ、マダム・ノラらに学ぶ
ニコラス・ベリオゾフ氏のチューリッヒ・オペラ・バレエ団に入団
現在、同バレエ学校にてクラシックバレエ教師を務める。
-まずは簡単な自己紹介から宜しいですか?
私はもともとは音楽の大学のピアノ科を卒業してるんですね。それで、大学の2年頃からバレエを始めまして、あとは、以前のタチバナバレエ学校。今は牧阿佐美さん。もうずいぶん昔。それから、そこを経てこまきバレエ団。こまき先生がいらした頃。そこを経て、今度はチャイコフスキー東京バレエ学校ですね。そこの1期生として入りました。そこで、5人ぐらい先生は代わりましたけどね。あとパリに渡りまして、2年勉強してました。そしたら、チューリッヒオペラ劇場のディレクターがダンサーを探しに来て、オーデション受けパスしましたので、それからはチューリッヒバレエオペラ劇団に入ったんですね。それは1967年。あと、ずーっとそこにいまして。あと、もちろん年齢もあれになりましたんで、今度はバレエ学校の方から「教師としてやってくれないか」っていうことで、もう30年ぐらい前ですけれどもね。そこで教えることが始まりまして、今まだ教えております。そういう感じですね。
-スイスにはもう長いこといらっしゃるんですね。
スイスに来たのが67年ですから、もうかれこれ40何年ぐらいですか。あと、その前に2年パリにおりまして。だから、日本を離れてから、もうかれこれ50年近くなりますね。
-では、元々は今のバレエ団でダンサーとして活躍していらっしゃって、そこから教える側に就いたということですね?
そうですね。一番最初のニコラス・ベリオゾフというバレエディレクターの方が非常に世界的に有名な方で、その方が僕を抜擢してくれてバレエ団に来たんですね。あと、その後もいろいろとディレクターが代わりまして、パリオペラからのディレクターとかロンドンロイヤルバレエからのディレクターとか、あとはニューヨークシティの方とか。それで、まぁやっぱりディレクターが来る度に皆さんクビになったりするんですよね。最後は、教師としての試験がまたあって、僕とそれからイギリス人もいたんですが、パトリチエニアリさんが結局僕をとってくれましてね。それ以来、ずーっと続いております。
-ダンスは大学2年生からということですか?
そうです。ですから、年齢的にはもう18才以後です。最初はモダン系だったんですがね。でも、やはり僕はクラッシクがやりたいということの方が強かったんで。
-ピアノはクラシックをなさっていたんですか?
そうです。ピアノはクラシックです。大学の音楽のピアノ科ですからね。パリにいた頃は、生活の為にやはりバレエ教師のピアノで生活をしておりまして、勿論レッスンも取っておりましたが。でも、ベリオロゾフがダンサー探しに来た時に、「あなたピアノ弾いてるけど、ダンサーだろ?」って言ったので「そうですよ」って言って。で、結局オーデション受けてパスしたし、今日に至るんですがね。
-では、子供の頃からダンスをなさっていたという訳ではなかったんですね?
ではないです。やはり、僕はピアノで進もうと思っていたんですが、やはりある時、バレエの公演を見てね。「これは凄い」なんて思って、そっちの方を始めた訳です。一応、大学卒業しましたけれどもね。卒業して就職なんかもありましたけど、全部それはもうとらないで、バレエの方に進んできましたね。
-子供の頃はピアニストを目指していたけれど…ということですね?
そうです。はい。
佐々木忠治さんが東京バレエ団の経営をやってますよね。以前は、林さんっていう方だったんですが。学校の経営が上手くいかなくて、結局誰かに渡さなくちゃいけないっていうことになって、佐々木さんの手に渡ったんですが、経済的に海外の先生方がもう来れなくなってしまって、じゃあ僕が外国で勉強しよう、っていうことでパリに出た訳です。
-それが海外に行こうと思ったきっかけですか?
そうです。もう、今から50年昔ですけど。
-50年前となりますと、海外に出るということに対して今よりもっと敷居が高かったのではないでしょうか?
そりゃあ大変でしたよ。それは、もうほんとに不可能というぐらいでしたね。はい。ですけど、なんかいろいろ口実を作って。あの頃はスポンサーがいなければ、もう外国なんか出られなかったんですがね。ツーリスト旅行のパスポートもらって、パリに入ったんです。ところが、パリに入って1週間ぐらいですぐピアノの仕事が見つかりまして、その時弾いてたピアノの方が下手くそでダメだったんですよ。そうしたら、「弾いてくれないか」ということで、その仕事に就きました。7人位の有名な先生方ばっかりで、パリの凄い優秀なソリストだった方々なんですが、その方達のピアノを2年ぐらい弾いてまして、そうしてるうちにチューリッヒのバレエディレクターが来て、ハレエに入ったということです。それからは、もうピアノは一切なしということで、バレエ専門になりました。
-海外に出た時に、一番苦労したのはどんな点でしたか?
苦労っていうか、最初は、1ケ月ぐらいの滞在費は持ってましたので、一応パリに着いて、パリのバレエ界がどういう状態か見たら、もう帰ってもいいと思ってた訳なんです。1ケ月ぐらいで。ところが1週間後にその仕事が入っちゃって、「しばらくまだいれるだなぁ」と。
-最初は観光ビザで入られてということですよね?
-その時、もう既にフランス語の方は?
フランス語は僕、こまきバレエ団にいた時に星野安子さんっていう方。もう亡くなりましたけれども、その方のお父さんが早稲田の仏文の教授だったんですよ。星野安子さんとよく仲良くしてて、「もしどっか行きたいんだったら、うちのパパがフランス語の個人レッスンをしてあげるよ」ということで。でも、パリに着いた時は、僕、全部英語で喋ってました。まだ、そこまではちょっといかなくて。
-いきなりネイティブと対面しても、話すってなかなか難しいですよね。
着いた年の夏休みに、パリオペラ座の大御所が、1ケ月南フランスにバケーションに出ますよ、ということで僕も行ったんです。その時、着いた途端、「今日から英語は絶対喋らない、全部フランス語!」っていうことで、1ケ月間フランス語をとことんとことん仕込まれて、夏休み終わって帰ってきたら、フランス語でも大丈夫だっていうことになりましたね。
-そんな短期間で!凄いですね。
もうとにかく朝から晩まで一切英語は喋られない。みんな全部フランス語でしたので。
-どっぷり浸かったということですね?フランス語に。
そうですね。やっぱり、パリは英語を喋る人っていなかったですからね。
もうなにもかも全部フランス語じゃないといけないし。
-なんとなくフランス人は英語を喋ってくれないイメージがありますよね(笑)
-お仕事が見つかった時に、諸々の手続きやなんかは全部フランス語だった訳ですよね?
それは、ニコラス・ベリオゾフっていう、ロシア人ですけど当時スイスにいらした方がパリに来て、そのオーデションを受けたら、「もうすぐチューリッヒ・オペラ劇場のバレエ団に来てくれ」っていうことで。ここまでくると、もうバレエ団が全部手続きしてくれますんで。劇場がね。ですから、もうその滞在とかそんな事は全然もう簡単に、サイン一つでバレエ団に入って仕事が始まりました。
-フランスからスイスの方に行かれたということは、スイスでは言語は?
ドイツ語です。
-フランス語をせっかく勉強したのに、ドイツ語を覚え直したということですか?
そうなんですよ。バレエ団にいた時はインターナショナルでしたから、ほんとに外国の人ばっかり。英語でも大丈夫だった訳ですよ。バレエ団はね。2年間は全然ドイツ語喋ってませんでした。
ところが、バレエの教師として教えてくれないかっていうことになって。実はバレエ団にいた時から教えてたんですけど、午前中リハーサルがあって、夜の公演があると、大体バレエ団は午後1時~5時くらいまでは休みなんですね。その中間の休みにバレエ学校の授業があるわけです。それで、「教えてくれないか」って頼まれたんで、「もうこれは大変だぞ」と。ドイツ語をまた個人レッスンで勉強して、それのおかげでドイツ語を喋るようになりました。
-海外と日本はココが違うなぁ、と思うような事は何かありますか?
やっぱり日本には素晴らしい物がありますよね。日本の伝統的な物はね。例えば、歌舞伎とか能とか。踊りにすればね。或いは、芸術的なもの。墨画ですか?そういう芸術。僕、日本を発つ時に、うちの叔父が「とにかく外国に行く前に、日本の芸術をちゃんと見て、それから行きなさい」と言われて、2週間ぐらい京都から何から全部回りまして。僕はその頃、お金がやっぱりよくなかったんで船で渡ったんです。
-船でどこまで?
横浜から南帆とか。その時、ボルショイ、モスクワにも寄りまして、モスクワに寄った時は美術館とか何とか見たんですけど、それからレニーグラードにも行きましてね。そこでも美術館やらなんやら見まして、やはりその時思ったんですが、日本の美術の方がよっぽど深いっていうか、非常に誇りが持てましてね。日本の美術は凄いということ思って。そういう意味で、やはり日本の素晴らしさっていうのは今でも持ってます。ヨーロッパにも、やはりヨーロッパの芸術がいろいろあります。日本の良さっていうのを、やっぱり日本人は忘れちゃいけないと思うんですね。だから、僕たまに日本に帰りますと、必ず日本の京都に行ったりとか、奈良行ったりとか、日本の文化を見て帰ります。いつも。
-素晴らしいですね。海外に出ればこそ分かる日本の良さみたいなものはありますよね。
そうですよ。ほんとです。
-海外にこれから行く人にもそういう事は伝えておきたいですよね?
日本からの若い方が、以前はかれこれ十何人いまして。今、5~6人しかいませんけれども。やはり、日本の良さっていう物に対しての自信がないみたいで。ちょっと中途半端なんですね。勿論こっちの生活に慣れるまでやっぱり1年はかかります。それと、やっぱりバレエのレッスンですか。やはり日本のコンクールで賞獲ったりしてますけど、一般的に、やはりまだ世界から見ると、まだまだじゃないかなあっていう気がします。例えば、生活がやはり違いますし。例えば、眠れる森の1幕とかそういうのを見ますと、やはりヨーロッパの生活ですよね。1幕なんていうのは。日本のバレエ団の、2幕はまあまあ見れますけれども、1幕はやっぱり入ってないですね。そういう、生活からくるもんですから、ちょっとしょうがないかもしれないですね。そういうもの感じます。はい。
-海外に出て良かったなあと思う点は、何でしょうか?
やはり僕は、自分の専門はクラシックバレエですので。モダンじゃないんですよ。クラシックバレエですのでね。伝統的にやはりロシア系のワガノワスタイルやってます。ですから、外国に出たら、アメリカのニューヨークシティスタイルとかフランスのスタイル、ロイヤルバレエスタイルとか、イタリアのチェケッティスタイルとか、ミラノとかね。いろいろの先生方と触れ合うことが出来るんです。いろいろなものをやはり見て、今まではワガノワだけだったんですが、そういう物見て、やっぱりいい物は取り入れていかなくちゃいけないと思うし。やはり外国っていうのは、いろいろありますけれども、ほんとにミックスで、ポーランド人、チェコ人とか、或いはロシア人もいますし、或いはハンガリー人もいます。それぞれの持ち味っていうのがありますので、ですから、非常に視野が広くなるんじゃないかと思います。自分自身ね。
日本にも毎年外国から先生が来ていらっしゃるとは思うんです。2週間とか3週間ね。ですけど、やはり先生方も納得いくまで大変なんじゃないかなあと思うんです。1年ぐらいじゃちょっと分かんないですからね。日本の方は。出てくるなら最低3年ぐらい勉強していかないと、ダメじゃないかと思います。
-日本と海外ではレッスンのスタイルにもだいぶ違いがあるということですね?
そうですね。違います。足の使い方、つま先の使い方から。ここのバレエ学校の校長先生いつも言うんですけれども、「日本の生徒さんはいいスタイルを持ってるのに、いい体もあるのに、レッスンがまだまだだねえ」なんて言ってます。日本から来ると、ほんとに基本が全然なってないという。これはどうしょうもないですね。だから、一年かけて、ほんとにそれはやってもらいます。僕はレッスンの時に。
-日本人の生徒さんは、いま何人ぐらいいらっしゃいますか?
-そういう日本から来てる方々は、日本からダイレクトに?それとも、他の国を経験なさった方も多いんですか?
いえいえ、日本からダイレクトです。はい。でも、才能はほんとにあるんです。日本のダンサーは。ほんとに素晴らしいです。ですけど、やっぱりレッスンの基本がキチンとしてないので、クラシック踊る場合は、やはりもっともっとキチンと訓練しなくちゃいけないなと、僕は思ってます。日本で教えていらっしゃる方も、外国で踊った方もいるんでしょうけれども、やはりプロフェッショナルとしての訓練がちょっと足らないんじゃないかと思うんですがね。
-やはり、バレエを勉強するなら海外に出た方がいという?
そうですね。でもですよ、海外に出て、ミュンヘンとか名前の知れた学校もあるんですけど、ここに来た生徒さんで、今ハンブルグに行ってるんですけど。その人は、僕のここで2年ぐらい勉強して、ハンブルグのバレエ学校に行ったんですけども、やはりそこでも先生方があまり良くなくて、「また、こっちに戻って来たい」なんて言ってます。もう一人ここの生徒さんスイスの生徒さんですけれども、ハンブルグに行きましたけれども、気に入らなくて帰ってきたりして。だから、学校の名前とそれから先生の指導ですよね。だから、人間性とかそういうものがありますので、一概には言えないんじゃないかと思うんですね。
-きっと相性なんかもあるんでしょうね。
こっちの人っていうのは、非常に良い意味でも悪い意味でも徹底してますし、好き嫌いも徹底してるんですよ。ですから、大変難しいですね。情なんていうのは、ほとんど感じないですね。だから、可哀想です。それに、もし一旦嫌われたら、良い人でもダメなんですよ。みんな病気になっちゃうっていうか、厳しいです。
-これから海外にバレエを勉強しに行こうという方々の為にお伺いしたいんですが・・・まず、スイス・チューリッヒはどんな所ですか?
これはもう世界一素晴らしい国です。僕に言わせれば。ただ、フランス・イタリアもバケーションで世界各国旅行しましたけどもね、やはりこのスイスっていう国はほんとに素晴らしい国だと思います。
-気候・風土なんかはどうでしょうか?
-美味しい食べ物なんかも?
そうですね。でも、日本の方はやはり日本食が一番ですから。
-留学前に日本でやっておくべきことはありますか?
どうしても必要なことは、語学を勉強して来て欲しいということ。最低、英語はね。もう会話では不自由ないというぐらい勉強して来た方がいいですね。
ここに来ると、やはり日本人同士ばかりでいるんです。だから、例えば語学が出来てなかったら、いつまで経っても語学がダメだっていう可能性もありますので、日本でしっかり語学を勉強して来て下さい。ドイツ語じゃなくていいんです。英語でいんですよ。
-できないまま行ってしまうと、日本人とばかり仲良くなって、結局語学力が伸びないということですね?
そうですね。そうすると、やはり先生の指導もなかなかパッと入ってこないし、難しいですね。僕は日本語で話してあげますけれど。日本人には。まだ慣れるまではね。
-中には「行けばなんとかなるだろう」と思ってる人もいると思いますが、やはり事前の準備が大事ということですね?
そうですね。まずは、絶対に語学を勉強して来て欲しいと思います。
-他には、これからスイスに留学したい方に何かアドバイスはございますか?
ほんとに外国に出てきたいと思えば、外国のバレエ団のフィルムとか大いに研究して見とく必要があるんじゃないかと思うんですね。それとか、或いは出来れば、出来るだけ外国の生活のドキュメンタリーフィルムとかね。ヨーロッパのとか、そういう物を常々よく見ておく必要があるんじゃないかと思うんです。ほんとに来てビックリするんですね。だから今、僕が、日本人がいるので、僕のところ来ますけど、例えば、ハンブルグとかミュンヘンとか行っちゃいますと日本の先生なんていませんから、ちょっと大変なんじゃないかと思うんですね。
-先程、日本の芸術をたっぷり見てから来るといいとおっしゃってましたけれども、そういう海外に出る上で心構えのようなものというのは?
結局、ヨーロッパでも非常に日本の「道」という、「華道」とか「武道」とかってありますよね?そういう物に対するプライドを持ってくれば、日本人としてのコンプレックスは無くなるんじゃないかと思うんですよ。なんか言葉の面で、みんな日本の人って、コンプレックス持っちゃうんですよね。そうじゃなくて、日本にもこういうのがあるんだと。例えば、生け花とかそういうのをキチンと。僕、お花の1級の免許持ってるんです。教えてますよ。上級生に。時間のある時はね。個人で教室を持ってます。
-生け花教室を?
そうです。でも、僕は春と秋しか。上級生はほとんど忙しいんで。そういう物があるということは、やっぱりこっちでも一目されるということね。日本人としてのコンプレックスは、絶対持っちゃいけないってこと。
-やはり、海外に出ると皆さん周りに馴染むことに必死で、日本人としてのプライドを忘れがちですものね。
そういうのがあったらダメです。こっちでは日本人って非常に一目おかれますけれども、最近の若い方っていうのは、あんまりそういう意識が薄いんじゃないかと思うんですね。日本人としてのプライドというか。それは、絶っ対必要です。気取りじゃなくて、優越感じゃなくて、自信ですよね。日本にもこういうのがあるという自信。だから、プライドも増上慢っていう言葉がありますよね?そういうなんか鼻を高くするとか、そんなんじゃないんですよね。もっと奥深いその自信というんですか?
-矜持と言いますか。
そうですね。日本人としてのそれを失っちゃまずいです。
-自分に自信がないと、やっぱりそういうのもバレエに表れてきますよね?
勉強もダメになってきます。全部そうです。みんなバレエに出てきます。そういうのがないと。遠慮しちゃうんですよ。日本人って、非常に。レッスンでセンターに入って教えてても、みんな後ろに立っちゃって。「なんで後ろに行くの?もっと前にいらっしゃい」なんて言うんですけど。みんな優秀なんですよ。前で踊るべきじゃないですか。でも遠慮して後ろに行っちゃう。もうそれは僕いつもね、日本語で言うんですけれども。こっちの人にはやっぱり「なんでふみおは日本人ばっかりひいきしてるのか」っていう事になりますけど。絶対遠慮はいけません。遠慮だけはしないで下さい。それ、絶対大事です。遠慮はしちゃいけません。
-ジャンルを超えてダンスというものは「表現する」ということですから、遠慮していては・・・という所ですよね?
はい。とんでもない。もっとバレエだけじゃなくって、やっぱり音楽関係。オペラとかそういうのも全部身に付いてると、その人の人間性っていうんですか。やっぱり自分の身体の動きの中には表れますから。ヨーロッパの人っていうのは、ヨーロッパの伝統っていうのがありますので、そういう物も理解できるという事も必要じゃないかと。それでヨーロッパに入ってくると、スーッと入ってこれますよね。そういうのが全然ないと、お茶漬けとかたくあんとかそんなだけじゃ、もうしょうがないですね。
-生活の一部に芸術を取り込むというような意識を持つということですね?
そうですね。そういう人間性の深さっていうんですか。上辺じゃない深さっていうのが大事です。そういうのじゃないと、やはり僕自分で経験として、やはりそういう物で皆さん僕のことを凄く買ってくれてるんじゃないかと思うんですよ。
-次はバレエスクールについて少しお伺いしたんですが、学校の対象年齢というのは?
クラスが午前中のクラスと午後のクラスと夜のクラスとありまして、午前中のプロフェッショナルクラスは、大体もう18才ぐらいまでじゃないですか?15~16才から来ていらっしゃる方もいますし。そして、午後の14時半~16時っていうのがありまして、そのクラスも午前中のプロフェッショナルクラスのポワントのクラスとかキャラクテルクラスとかそういうのがあります。大体、年齢的には17~18才ぐらいですね。もう19才ってなると、オーデションでカンパニーに入らなくちゃいけないですよ。
-入学資格というのは、どのようになってますか?
資格というのは、大体DVDでオーデションやっております。今の所は。わざわざ来てもらうっていっても大変ですので、日本でDVDにバーとセンターとバレーションなんかの踊りを撮って頂いて、それを送って頂ければいんです。
-卒業後に取得できる資格というのは?
まぁ、そういう資格は取れるんですが、でも、資格よりももう1~2年で皆さんカンパニーに入っちゃいますから。だから、とにかく実力を付けるということが物凄く大事ですね。いくら資格持っててもね、例えば日本に帰って教えるということはいいでしょうけれども、外国で踊ろうと思えば、実力が無ければしょうがないですね、いくら資格持ってても。
-このバレースクールの特色と言いますか、どんな所が生徒にとって魅力なんだと思いますか?
やはり、バレエ学校の校長ですね。校長先生というのは、非常によく分かってらっしゃるんですよ。バレエっていうことに関して。だから、その先生に付いていけば、絶対この人プロフェッショナルになれるっていうことがありますね。他所の学校よりも、その辺は優れているんじゃないかと思うんですよ。形式的にパッパッって、事務的に教える先生が多いんですよ、ヨーロッパの場合は。ですけど、ここはそうじゃなくて、「この人を何とかしてあげよう」っていう、そういうのがあります。ですから、例えば、ここからミュンヘンのバレエ学校の試験受けて落ちたと、受け取ってくれなかったという人がいるんです。で、ここで勉強して、今はもう本当ソリスト級でポーランドで踊ったり、今度はまたハンガリアーのソリストで入るんですけども、そういう人が育つということですね。才能があれば。その辺がちょっと違うんじゃないかと思うんです。ほんとにプロフェッショナルダンサーを育てることが出来るということです。この学校は。本人にやる気と才能があれば。
-先生方が深く一人一人を見ているということですね?
はい。他所の学校とちょっと違うみたいです。だから、ハンブルグに行った生徒達も「凄く不幸だ」って、「もう辞めたい」なんて言ってますけど。先生方の違いなんじゃないでしょうか。
-生徒さんは、大体どのように一日を過ごしてらっしゃるんですか?
勿論、朝10時半~12時のクラス、午後は14時半~16時のクラス。それには、いろいろと民族舞踊、モダンもあるし、あと夜は18時半~20時までとか、もう一日中バレエ学校にいます。ここのスイスの人達は、午前中学校に行ってる人は午後のクラスからです。午前中のクラスには来てないです。
-お休みの日なんか皆さんどのように過ごされているんですか?
休みは、僕はいつもここで特別講習をやります。夏は5週間休みですけれども、5週間毎日僕は特別レッスンやってます。皆さん、それに参加しますね。
-日本に戻って来られる予定なんかはないんですか?
最近、4~5年日本に帰ってないです。夏休みはここでサマーコースをやりますし、だから帰れないです。でも、ちょっと見てみたいと思うんです。日本のダンサーのレベルがどれぐらい、どういうレッスンをやっているのかとか。
-是非、日本で講習会を。
もし、誰かが希望があれば、行けないことはないと思います。
-では、是非日本にお越しの際は、是非ご連絡下さい。
そうですね。はい。
-貴重なお話ありがとうございました。