幸田亮一さん プロフィール兵庫県神戸市出身。10歳よりバレエを始める。中学卒業後ドイツに留学。1年目シュツットガルトSchule des Ballett 、Hitomi Asakawa Haas(20世紀バレエ元ソリスト)に師事。 2~3年目ハンブルグバレエ学校、Radik Zaripov, Kevin Haigen他に指事。在学中、同バレエ団のアンダースタディーとして舞台に立つ。2001年、劇団四季に入団。「CATS」マンゴジェリー、ランパスキャット、コリコパット「アンデルセン」「ソング&ダンス2」等に出演。2006年に退団。2011年真鍋奈津美と共にバレエ・マスターストレッチを始めるとする様々なクラスやワークショップを企画、開催するプロジェクト「Défilé」を立ち上げる。現在はフリーのダンス講師、コレオグラファーとして岡山を中心に活動。Body Element System Japan 認定マスターストレッチトレーナー。
-幸田さんは中学を卒業して留学したきっかけはなんですか?
幸田 中学3年生の夏休み、当時通っていたバレエ教室で行われたHitomi Asakawa Haas先生の講習会を受け、もっとこの先生に学びたいと思い掛け合ってみたところ「死に物狂いで頑張るなら来なさい」と言って頂き、急遽そこから中学卒業までに渡独の準備をしました。
-素敵な先生との出会いがあったのですね♪ハンブルグに決めた理由はなんですか?
幸田 シュツットガルトでの学校はプライベートスクールだったので、その後の進路の為に3つのバレエ学校を受験しました。一つ目は同じシュツットガルトにあるバレエ団付属校John Cranko Schule(ジョンクランコバレエスクール)。バーレッスンの審査途中で落とされました。二つ目はスイス ローザンヌにあるRudra Béjart Lausanne(ベジャールルードラ)。 こちらは最後まで審査を進み合格しました。三つ目がドイツ ハンブルグにあるHamburg Ballett Schule(ハンブルグバレエスクール) 。合格し入学許可を頂きました。クラッシックを徹底的に叩き込みたかった事と将来、ストーリー性がある全幕バレエを踊っていきたいという思いがあったのでハンブルグを選びました。
-もともとバレエを始めたきっかけなんですか?
幸田 小学生低学年の時、劇団四季の「キャッツ」を観て将来舞台の道に進む事を決めました。 ミュージカルの舞台に立つ為にバレエの基礎が必要だろうとバレエを始めました。
-最初、単身ドイツに行くのに不安はありませんでしたか?
幸田 幸い先生が日本人だったので異国という場所でしたが大きな不安はありませんでした。むしろ毎日バレエが出来るのが楽しみでした。
-ドイツ語はどのように勉強しましたか?
幸田 1年目で行ったシュツットガルトで半年程、語学学校に通いました。 ハンブルグに行ってからも外国人は授業の一環としてドイツ語がありました。渡独する前は挨拶と数字(1~10まで)程度しか覚えて行きませんでしたが、最初に半年間通った語学学校で大体の日常会話は習得出来ました。
-凄いですねぇ~♪あいさつと数字しか知らないレベルから半年で日常会話の習得レベルまでいけるとは驚異的な学習能力ですね♪ ハンブルグの学校での日常生活を教えていただけますか?
幸田 授業は月曜から土曜日まであり、毎朝クラシックのクラスから始まります。 土曜日以外は男女別で行います。
その後は日によってバリエーション、パドドゥ、モダン、キャラクターダンスやバレエ団の作品を学ぶレパートリークラスなどがあります。 また、自分自身で作品を創る「振付」の授業もありました。昼休憩を挟み午後からは、スクールパフォーマンスに向けてのリハーサルや(バレエ団のアンダースタディーなどに入っている場合は)バレエ団のリハーサルに参加します。後、毎日ではありませんがドイツ語や解剖学の授業もあります。
-月曜日から土曜日までみっちりですねぇ♪学校がお休みの日曜日はどのように過ごされていましたか?
幸田 基本的にドイツは日曜日にお店などが開いていないので、クラスメイトとホームパーティーをしたりして楽しんでいました。
たまに授業の一環で、学校から美術館に行ったりオーケストラの演奏を聴きに行ったりする事もありました。ドイツの町並みもそうですが日常の生活の中で芸術に触れ、多感な十代の感性が養われたのだと思います。
-サマーホリデーやクリスマスホリデーはどのように過ごしていましたか?
幸田 長い休みの時は、日本に帰って来ていましたが短い休みなどは、 夜行列車に乗ってフランス パリに一人旅をしたりしました。 (ヨーロッパは陸続きで外国にも気軽に行けるので、ベルギー等にも行きました。)
-ジョン・ノイマイヤーのディレクションに影響された事はありますか?
幸田 新しい作品を創作していく現場に立ち会えた事はとても貴重な経験でした。 振付家とダンサーがお互いにインスピレーションを与え合いながら作品を創り上げて行く姿は、現在の自分自身の創作活動に大きな影響を与えていると思います。 創作現場において作り手も舞踊家も決して一方通行のコミュニケーションではなく、 言語としての会話というよりは感性と感性の会話をしながら創作している様に思えました。
-学生時代最も印象的な事はありますか?
幸田 振付の授業で創った作品がスクールパフォーマンスでの発表作品のひとつに選ばれた事です。 ダンサーや曲の選出も自分自身で行い、一から創り上げる作業は純粋に楽しいひとときでした。
-幸田さんはいつ頃からプロになろうと意識し始めたか?
幸田 幼い頃からこの世界に身を置きたいと漠然と思ってはいましたが、 現実的に考えだしたのは中学生になってからです。
-帰国後、仕事をして行く中で留学経験が活きたと思う事はありますか?
幸田 早い時期から親元を離れ海外で学んだ事で、自分自身で進むべき道を決断して行く精神的な強さが身に付いたと思います。
-ヨーロッパに残って活動しようとは思いませんでしたか?
幸田 海外で活動して行くならばハンブルグバレエ団に入りたいと考えていたのですが 残念ながらそれは叶いませんでした。 一度自分の進む道を見つめ直そうと日本に帰国しました。 一年程関西を中心にバレエダンサーとして活動しましたが、 その後劇団四季が「キャッツ」に出演する男性ダンサーを探しているという事で オーディションを受け、入団しました。 この世界を志すきっかけとなった作品に出演する事ができ、 子供の頃に思い描いた夢が現実となりました。
-幸田さんは現在指導者として活躍されており、先日のローザンヌ国際コンクールのファイナリストを輩出しました、指導のなかで特に心がけていることはどんなことですか?
幸田 ひとつのメソッドにとらわれる事無く、その時々にその人に何が必要なのかを見極め指導することを心がけています。 日本人の骨格の特性を考慮した上での身体作りができるよう、必要に応じてコンディショニング等も取り入れています。 指導者という立場になるとどうしてもアウトプットする事の方が多くなってしまうので、自分自身が停まる事なくインプットを続け、生徒たちを導いて行ければと考えています。
-これから活躍する若手ダンサーにむけて一言お願いします。
幸田 バレエの技術を高める事だけでなく、色々なものや人に触れ合う機会を大切にして欲しいと思います。 それが結果自分自身の人間性を高め、表現者としての魅力に繋がって行くのではないかと思います。
-これから留学を考えている方へのアドバイスをお願いします。
幸田 バレエ学校に入学することはゴールではなくスタートです。 何を学びたいのか自分の意志をしっかり持ち、進む道を考えて行って欲しいと思います。 オーディションでは通常バーレッスンから始まりますので、基礎的な事の積み上げが何より大切になると思います。
-プロのダンサーになる秘訣はありますか?
幸田 素直である事。強い意志を持つ事。 プロになるということは、選ぶ立場ではなく選ばれる立場になるという事だと思います。 自分の気持ちだけではなくそこには常に相手がいるからこそ、 素直である事、強い意志を持つ事はとても大切な事ではないでしょうか。
-日本人と外国人ダンサーとの違いを感じる事はありますか?
幸田 やはりそれぞれの民族性や文化から来る骨格の違いや思想の違いはあると思います。 華奢な身体や消極的だと言われる文化は不利な様に感じてしまいがちですが、 視覚的なものだけを真似るのではなく、 日本人だということが活かせる身体の使い方や考え方を身につけていく事が出来れば、 それは決してデメリットではないと思います。
-本日は貴重なお話をどうもありがとうございます。
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Défilé (デフィレ)
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