長井シーナ志保子さん プロフィール埼玉県出身。高校生でアメリカに留学。日本の大学に入学後、アメリカのオハイオ州立トレド大学に編入。シアターフィルムダンス学部でダンス学科に学び、平行して芸術学部で油絵と写真を専攻。大学のダンスカンパニー、オハイオ州のダンスカンパニーModanに所属、ダンサー振付け師として活動。トレド美術館展やNYの展覧会などで、絵画、写真の作品が入選、芸術学部より奨学金を授与。帰国後、テレビ、ラジオの仕事を受け、役者に転身、歌手としての仕事も始める。国際ロータリークラブより国際親善奨学生の奨学金を授与し、2006年ロンドンに渡英。英有名俳優、コリン・ファースや、ジェームスボンドのピアース・ブロスナンらを卒業生に持つ、ロンドンの演劇学校、ドラマセンターロンドンの学部長の推薦で、大学院の映像俳優科に入学。卒業後、ヤマハ、プロモーションバンドの活動を得て、ロンドンの芸能事務所に所属。現在は役者の仕事を中心に、ダンスや歌の仕事も続けている。映画47ローニン、イングリッシュナショナルオペラ、イギリスのテレビドラマやCMなどに出演。ロンドンを拠点にヨーロッパ各国で活躍。自身の所属するプロジェクトグループでは、定期的にシアター、音楽、アートイベントを主催し、地元のアーティストの活躍をサポートをしている。また、月刊誌ミスターパートナーでイギリスの生活情報の記事を執筆中。
-まず簡単な自己紹介をしていただきたいのですが、現在までどんな勉強をしてきたかや、留学する前までのダンスの経験などを教えていただいてもよろしいですか?
長井 最初に留学をしたのは高校生の時です。その後、一度日本に帰ってからアメリカの大学に編入して、ダンスを専攻しました。その後イギリスの大学院でドラマスクールに入学して演劇を本格的に学びました。
-交換留学の時には既にダンスをされていたのですか?
長井 交換留学は普通の公立高校なのでダンス留学ではなく、どちらかというと語学のためでした。ダンスは小さい時から好きで、高校では新体操をやっていたりしたのですが、当時特に仕事にしようとは考えていませんでした。
-小さい時からずっとダンスはされていたのですか?
長井 趣味程度に、好きでやっていました。
-何歳くらいの頃からですか?
長井 小学に入るころから自主的にいろんな事を習いたいと親に言っていました。まず、英会話と水泳を習って、そのあとピアノを習いました。バレエも習いたいと言ったのですが、既に他のを始めていたのですぐに習いに行く事はなかったですが、学校のイベントや学芸会で早いうちからダンスの振り付けや演出の用な事はしていましたね。また、合唱や、マーチングバンドが有名な小学校だったので、人生で初めてオーディションというものをうけて入りました。友達に誘われて受ける事に決めたのですが、当日友達が風邪を引いて休んで私だけが受けたと言う良く聞くパターンです(笑)。バンドなので音楽がメインで、私は最初にドラムをやりましたが、その後トランペットを演奏しました。フォーメーションなどもあるので、動きや振りなどもあり、そういう総合演出のあるエンターテイメントが子供の頃から好きでしたね。
-では真剣にやり始めたのは、もっと後で?
長井 中学のときに母が初めて連れて行ってくれたミュージカルに衝撃を受けたのをはっきり覚えています。レ・ミゼラブルでした。それでダンスや歌にさらに興味が出たのは確かですね。高校生で新体操を始めましたので、バレエもやりました。新体操はスポーツですが、芸術要素が重要なので、曲決めや振り付け等、自身できめるので、後になって、コンテンポラリーダンスの振り付けや曲決めをするときに役立ちました。アメリカの交換留学の時には機械体操部にも所属しました。
-アメリカへの交換留学でも、そういうものに触れると機会があったのですか?
長井 そうですね。ダンスだけでなく音楽も好きだったので、アメリカ時代は音楽を中心に、ミュージカルのクラスなどをとっていました。
-交換留学の時は、普通の高校だったのですか?
長井 普通校です。アメリカの高校は自由にクラスがとれるので、普通校でも音楽やミュージカル系のクラスがあって、選択でとっていました。学校内でも舞台がありました。
-それで一度戻ってこられて、もう一度留学を?
長井 日本の高校は私立で、その高校にもどらないと高校の資格をもらえないので。アメリカを卒業して、また日本の高校に戻り日本の大学を受験しました。その時は日本の大学にも興味がありましたので。その後やっぱり向こうでダンスや芸術系をやりたいなと思って、アメリカの大学に編入しました。
-アメリカの大学に変更したきっかけはあるのですか?
長井 もともとアメリカに1年間留学していた時に1年では足りないなと思っていたのですが、まだ高校生だったのでとりあえず日本の高校は卒業しようと決めていました。それで日本に戻って、日本の大学も受験したのですが、心の中ではまた留学しようと考えていました。受けた大学も留学制度のある大学に入りました。
-それで最終的に大学に行こうとふみきったと?
長井 そうですね。とりあえずは日本の大学に入って、大学の交換留学制度を通して行こうかと思ったのですが、入学した大学には芸術関係の大学との交換留学にはあまり力を入れてなかったのです。それなら自分で探そうと思って、日本の大学をやめて自分でアメリカの大学に直接入りました。
-アメリカはパフォーミングアーツ系の学校がたくさんあると思いますが、実際にその学校に決めた理由はありますか?
長井 私が行ったのはオハイオ州のトレド大学という所で、高校留学でお世話になっていたホストマザーの知り合いでそこで働いている方がいて、芸術学部の施設が充実していると聞きました。芸術学部が州立のすばらしい美術館に隣接しているところもとても気に入りました。もともとはニューヨークやロサンゼルスに行きたかったのですが、現実的に学費がすごく高かったこともあります。
-現地で紹介してくれる人がいないと、なかなか見つけにくいですよね。
長井 そうですね、なにせ高校を卒業したばかりで知識もなかったですし、インターネットや本で調べても、実際どうなのかわからないので、アメリカを再び訪れて、一人で視察に行きました。
-その後の、出願や試験はどういう流れでしたか?
-実際の試験はどんな内容でしたか?ダンスの実技試験などはありましたか?
長井 そこは総合大学だったので、大学に入った後でも専攻を選べたのです。その時はダンスは好きでしたが、絵や写真が得意で賞をとったりもしていたので、まずアートを専攻しようと思ったんです。ダンスは趣味で、仕事ではアートでできればと。
アメリカの総合大学はだいたい1~2年は総合学科なので、大学に入ってから、向いてると思った学科に専攻を換える事も出来ます。あとは英語力は入学には一番重要です。
-英語ができるという証明を出せばよいと?
長井 その時はTOEFLを受ける必要がありました。日本で受けていた時の点数も考慮されますが、実際大学でも試験があって、その点数が合格点に達していれば大学にすぐに入れます。もしダメでも、大学内に語学学校があって、そこで勉強しながら、3ヶ月ごとに試験が受けられる、というシステムがありました。留学生の受け入れ態勢がしっかりしたいい大学でした。
-では入学するまでに苦労したのは英語ですか?
長井 試験勉強は大変でしたが、高校生で一年留学していたのはだいぶプラスでしたね。
-日本の大学を途中でやめて、アメリカに入学するまでの準備期間はどれくらいですか?
-アメリカの大学に行くには費用もたくさんかかると思いますが、それらはどうやって捻出されたのですか?
長井 日本の大学に1年行っていたので、その間に、高校留学の経験を生かし、塾講師のアルバイトをして、お金を貯めました。日本の大学に暫くいたもう一つの目的は、貯金をすると言う事でした。
-留学するとなると、ご両親に援助していただく方もいますが、長井さんは全部ご自身でやりくりを?
長井 いいえ、日本の大学もアメリカの大学もありがたい事に学費を両親が出してくれました。うちの大学は州立大学なので、学費がものすごく高いわけではないのですが、大学なのでそれなりに金額はかかりますよね。なので、私はアルバイトをずっとしていました。当時のアメリカは留学生は学校の機関以外でアルバイトが出来なかったので、日本だけでなく、様々な国から来る留学生は、裕福な学生も多かったです。私は日本で塾の先生をしていたので、日本人補習校という学校で運良くすぐに雇ってくれて、大学1年目からそこでバイトをして、生活費の足しにしていました。また、芸術学部のスタジオアシスタントの仕事も教授が紹介してくれて、3年生ぐらいから始めました。4年生の時は芸術学部から奨学金を頂きました。
-語学は事前に日本でも勉強していったのですか?
長井 私はあまりやらなかった方かもしれません、行ってからがんばろう思っていた節はありました(笑)。私の行っていた日本の大学は単位を取るのが厳しい学校で、大学とバイトと、目の前の事でいっぱいいっぱいだった記憶です。ただ、映画や音楽が好きだったので、好きな映画や音楽をくりかえし見たり聞いたりして、フレーズを覚えたのは良かったと思います。
-留学に向けてたくさん勉強するというよりは、行った先で勉強をすると?
長井 じっくり勉強してから行くのも一つの方法ですが、私は現地に飛んで追い込む派かと(笑)。ただ、私は大学入学への受験勉強をしましたし、日本の大学が語学にも力を入れていたので課題で普通に勉強はしていました。塾で英語の講師をしていたので、仕事で教えながらも学んでいたかもしれませんね。
-行った州立学校の特徴はありますか?
長井 総合大学なので、とても広かったです。建物もいわゆる日本人が思う、アメリカのザ・大学のような感じでした。芝生がいっぱいあって広くて、建物もヨーロッパ風というか素敵なもので、芸術学部はその地域で有名な美術館内にありました。
-芸術の方に行かれたのは3年目からですか?
長井 基本的にはアメリカは融通がきくので、実力があれば1年からでも取りたいクラスがとれますので、最初の方から芸術のクラスもダンスのクラスも取っていました。私の場合は日本の大学に1年間行っていたので、2年生レベルのクラスが取れました。
-入った時にはダンスを専攻しようと思っていたのですか?
長井 最初は芸術関係に行こうと思っていました。子供の頃から絵描きの父に教えてもらい、兄と良く描いていたので得意だったのです。自分絵や作品のポートフォリオを面接に持っていて、大学の学長が認めてくれれば芸術学部に入れます。ダンスのクラスは選択でとっていたのですが、大学のダンスの先生に、「ショーがあるから出ませんか?」と言われて、興味があったので「出ます」と応えて、その時に「ダンスの学科にも入りますか?」という話があって、「あ、受けたいです」と。結局ダンス学科と芸術学部、両方行くようになりました。当時、ダンス学科のショーも、芸術学部の展覧会も積極的に出場、出展して、賞を頂いていたので、ダンス学科と絵画、写真学科の先生みなに声をかけて頂いていたので、結局よくばって全部勉強しました(笑)
-先生のすすめがあって、と?
長井 学校の先生や卒業生と一緒に大学の作品を作ることに関わった時に親しくなって誘われたりもしました。大学のダンスもそうですが、地元のダンスコミュニティーにも関わるようになって、どんどんダンスに時間をさくようになっていきました。
-オハイオの州立大学には、日本人の留学生はいましたか?
長井 大学にはいましたが、ダンスや芸術学部にはほとんどいませんでした。
-ダンスの方にはあまりいなかったと?
長井 あまりというか、ダンスを専攻している人は一人もいませんでした。そんなこともあり、大学の留学生生徒会の役員に選ばれ、日本で言ういわゆる文化祭、音楽祭や運動会のようなイベントがあれば、振り付けを頼まれたり、踊ったりもしましたね。
-アメリカと日本のダンスのレッスンで、決定的に進め方が違うなと感じたことはありますか?
長井 アメリカはの先生は、生徒に自主的に活動させます。バレエやジャズは先生によって違いはありますが、基本は一緒なので、大きな違いはなかったかと思います。ただ、コンテンポラリーなどは、初めてやった時には新しいと感じました。アメリカで出会ったコンテンポラリーダンサーのイメージは、オープンなイメージでしたね。作品を作るとき、頭で考えると言うより、動いて作り上げる、日本でもやってるとは思いますが、その時は新しいなと感じましたね。アメリカ発祥の音楽のジャズがそうであるように、アメリカのコンテンポラリーダンスも、その時の雰囲気と状況でインプロをして、同じ作品でも、毎回違うと言う楽しみを学んだと思います。積極的に自分たちで作品を作るように指導されたし、ショーがある時も「自分で作りたい人は応募していいよ」という感じで。創作に積極的に力を入れていました。
-日本から行かれる人も、自発的にいろいろやっていた方がいいと?
長井 私はもともとダンスは好きだからやっていただけで、始めたのも遅いので、技術が特別あったわけではないんです。だからプロでやっていくのは無理だと思っていました。でも最初は自分でも不思議だったのですが、いろんなショーの出演依頼を受けました。コンテンポラリーは技術だけでなく表現力が大切なので、そういう点で認められたのかもしれません。技術だけを意識するのではなく、オープンに、好きでやっていたというのが良かったのかもしれません。
-授業で、先生に誘われることがあったのですか?
長井 一番最初に出たのは、ジャズダンスの先生の振り付けの舞台で、バレエのうまいダンサーがメインをやって、私は後ろで踊りました。ジャズダンスは形が決まっているので、技術は重要です。その時のショーに大学外のコンテンポラリーの先生も作品を出していて、「今度コンテンポラリーのこういうショーがあるので参加しませんか?」と誘われました。私のダンスがその先生の好みにあったようです。
-それは全部学内のショーですか?
長井 学外もあります。大学のダンスコミュニティと同時に、外に卒業生などのコミュニティもあって、大学内にオーディションをかけたりすることもあります。その中心になっている方と親しくなって、後に一緒に住むことになるのですが、彼女の影響も大きかったですね。彼女が当時つきあっていたボーイフレンドもすばらしいダンサーで仲良くさせてもらっていたので、その二人の影響が大きかったです。その後、バレエやジャズ以外の、コンテンポラリーに移っていきました。
-日頃はどんな練習をされていましたか?
長井 学生時代は週に何回かクラスがありました。それ以外に、私が住んでいた所はダンスが盛んで、定期的にショーがありました。授業を受けながら、次のショーの練習を同時にしました。日本に比べたらアメリカはコンテンポラリーやダンスのショーが盛んです。
-自分一人で練習するというよりは、団体でリハーサルを進めていくと?
-今もそういう感じですか?
長井 大体同じですが、今はエージェントがいますのでそこからの仕事がほとんどです。現在役者の仕事がメインですので、ダンスの仕事は、コマーシャルや映画のダンスシーン等が多いですが、舞台やコミュニティーイベントにも参加しています。
-レッスンは今も受けていますか?
長井 オーディションが定期的に来ますので、今でもダンスのレッスンはとっています。出演するものがあると、毎週リハーサルがあったりするので、現在も出演するショーのリハーサルに行っています。
-ダンス業界でのつてはできましたか?
長井 はい、それでしばらくアメリカで活動していました。その後日本でも経験を積みたいと思い、日本に帰国しましたが、日本ではコンテンポラリーダンスがあまりポピュラーではないので、演劇やテレビ・ラジオの仕事を始めました。最初からアメリカに再び戻るつもりでいたので、国際ロータリークラブの奨学金を受け、アメリカの大学院に行くつもりでした。しかしクラブからはイギリスに行ってくださいと言われたのです。アメリカで仕事をした経験があったので、アメリカに戻りたかったのですが、新しい国に行ってほしいと言われ、イギリスに行くことになったのです。今はロンドンに住んでいます。
-それは奨学金で?
-イギリスに行く時の留学手続きもご自身ですべてやったのですか?
長井 はい。イギリスには仕事で一度行ったくらいで、その時点では、学校の事は知りませんでした。アメリカのダンスやシアターが好きだったので、最初はイギリスのスタイルに興味がなかったのも事実です。その時に一緒に住んでいた友達がイギリス人だったので、芸術・パフォーマンス系のいい大学を知らないかと聞いたら、「今はセントラルセントマーチンという芸術大学が一番いいよ」と教えてくれました。ちょうど仕事でイギリスに行く機会があったので、その時にセントラルセントマーチン芸術大学を見学しました。そのタイミングで、演者から製作に転向しようと、製作に関する学部の見学をしに行ったのです。そうしたら、たまたまパフォーマンスの学部の先生もいらして、話を聞いてみたら、その先生に「オーディションに来なさい」と誘われたのです。
-それは入試ということですか?
長井 そうです。ダンスでけがをした事もあり、製作に移れるならとも思っていたのです。だけど、たまたま学部長に誘われて、断る理由もあまりなかったし興味もあったので、オーディションに行ったんです。誘われたのも縁かな、という感じで。実はそこはドラマセンターと言って、イギリスの有名な俳優、コリン・ファースや、ジェームスボンドで有名な、ピアース・ブロスナンなども卒業した有名なドラマスクールでした。入学した後に知ったのですが(笑)。
その時私はまだ日本に住んでいたので、ビデオで演技のオーディションを送るように言われました。その一次審査が通ったので、次の二次審査はロンドンまで行って受けなければなりませんでした。受かるか分からないのに日本からわざわざ行くのは結構なプレッシャーでした。実際二次で一度落とされましたが(苦笑)。しかし、オーディション後すぐに学長から電話が入り、二次のオーディションの題材が、シェークスピアで、私には不利だったのでもう一度受けにきなさいと言われて、ロンドンの滞在を延ばして再度受けて受かった、と言うある意味運がよかったです(笑)。
-イギリスでの授業の進め方やイギリスの学生はいかがでしたか?
長井 アメリカとは全然違いましたね。イギリスはどちらかというと日本の学校に似ています。私が行ったドラマスクールは、カリキュラムが全部組まれていて、アメリカのように自由にとることはできませんでした。とりたいクラスを自主的にとれるのがアメリカの好きな所だったので、それはちょっと残念でしたね。うちの大学は厳しいのでも有名で、通称、トラウマセンターとかミリタリーセンターとも呼ばれていました、これも後から知りましたが(笑)。
-イギリスには日本人留学生はいらっしゃいましたか?
-日本人以外の人とつきあうコツやアドバイスはありますか?
長井 アメリカとイギリスでもまた違いますね。アメリカ人は基本的にオープンですが、イギリス人は本音と建前を使うところがあって、日本人に近いところもあると思います。私はアメリカで青春時代を過ごしたこともあり、最初イギリスに来た時少し戸惑いましたね。一方で、ロンドンはイギリス人だけではなくいろんな国の人がいるので、興味深い事も多いです。アメリカに住んでいた時は、周りがほぼアメリカ人だったため、自分がどんどんアメリカナイズされて行く感じもしましたが、イギリスでは、ロンドンにいるからでしょうが、様々な国の人との付き合いがあるため、国に染まって行くと言うよりは、人それぞれ、みたいな感覚がありますね。
-アメリカの宿泊先はどのように見つけたのですか?
長井 高校での留学は、留学斡旋業者が紹介してくれました。大学は留学生の事務局がルームメートを探している学生を紹介してくれました。
-それはすぐに見つかりましたか?
長井 すぐ見つかりました。最初は同じ留学生同士が住みやすいかということで、紹介を受けた留学生とルームメートになりました。
-イギリスではどのように宿泊先を決めたのですか?
-生活費は1ヶ月にどれくらいかかりますか?
長井 アメリカの学生の時はそんなに贅沢もしないし家賃も安かったので、学費を入れずに7~800くらいだったかな。
-イギリスに移ってロンドンの方が高いなと思われますか?
長井 それはそうですね。アメリカでもニューヨークに住んでいたら高いのと一緒ですが。渡英したのが2006年だったのでまだリーマンショック前で、日本円から換算したらものすごく高かったです。
-ロンドンでの学生時代は、生活費はどれくらいかかりましたか?
長井 家賃次第ですね。一番最初に住んだ家が600ポンドだったので、食費や交通費等入れると1000ポンド以上にはなりましたね。学生としては少しきつかったです。その時は相場がわからなく、知り合いが紹介しれくれた所に住んでいましたが、そのあと安い物件を探して出費を抑えました。
-学生だと大変ですよね。
長井 奨学金をもらっていたとはいえ決まった額がありますので。当時のレートを考えると、アメリカに行った方が優雅な暮らしはできたなと思いますね。大学が忙しく、最初のうちはアルバイトも出来ませんでしたが、一年経って、大学の近くにヨーロッパ最大の総合エンターテイメント施設があり、バービカンセンターというところなのですが、アルバイトが出来る事になりました。忙しくなりましたが、仕事をしながらエンターテイメントにも触れ、一石二鳥でもありました。
-今となって、留学をしてよかったと思える瞬間はどんな時ですか?
長井 好きな仕事が気兼ねなくできるのはいいですね。演劇、ダンスや芸術で仕事を続けるのは、不安定な仕事なので、日本では周りに心配される事も多かったですから。
-イギリスやアメリカでは、そういうことはないですか?
長井 他人は他人と、みんな堂々と胸をはって「私は役者だ」とか「ダンサーだ」と言う人も多く、そこまでではないですね。
-留学して変わったことや成長したなと思うことはありますか?
長井 相手に対して、意見を強く言わなければならないこともあるということです。イギリスは時と場合にもよりますが、アメリカではYes, Noははっきり言った方がいい場面が多かったかと。日本では逆の場合も多いので、日本人と仕事をしたり、日本からお仕事をいただく時には気を使います。いろいろな国の人とと関わるとその使い分けが難しいですね(笑)。一つ印象に残っているのは、イギリスの大学院で、だいぶ年下のクラスメートに、私が人に対して親切にしすぎる、と注意された事があります。日本では助けが必要な人には親切にするのが当たり前のように思いますが、彼女曰く、親切にしすぎるのは甘やかす事になるから、その人の為にならない、というのです。一理はあるなと思い、国によってもいろいろな考え方があるなと学びました。
-今後は活動はどのようなものになりますか?
長井 卒業したのが2008年で、その後すぐに事務所に入り、今は役者の仕事を中心に、ダンスや音楽の仕事もしています。役者としては、イギリスや、ハリウッド映画やテレビドラマ、コマーシャル、またイングリッシュナショナルオペラなどの舞台にたちました。あとはIUGTEというフィジカルシアター団体に誘われ、オーストリアやイタリアに行く事もありました。ロンドンをベースに仕事をしていますが、イギリス以外のヨーロッパ、日本、アメリカで仕事をすることもあります。
-今後もヨーロッパで活躍していきたいと?
長井 今はヨーロッパにいるので、ヨーロッパ中心に活動しています。最初にイギリスに来た時は、いつアメリカに戻ろうかずっと考えながら活動していました。今はヨーロッパで築き上げたものがあるので、しばらくいたいと思っていますが、心のどこかで、アメリカが気になっている所はあるかもしれないですね。ティーンエイジャーの時に過ごした影響は強いと思います。イギリスにいながらも、アメリカからの仕事の依頼もたびたびあるので、縁はあるかもしれないですね。またここ数年は日本の仕事も増えてきたので、それも嬉しいですね。
-これから留学したい人にアドバイスをお願いします。
長井 人生一度きりなので、やりたいことをがんばったらいいと思います。私はエンターテイメントのくくりはあったにしろ、ダンス、歌、芝居、芸術など幅広くやっていたため、一時期は何に集中するかなど悩みましたが、一生懸命やっていれば自然と仕事はついてくるような気がします。また、日本、アメリカまでは自分の意志でしたが、イギリス、ヨーロッパで活動する事になったときは戸惑いました。しかし、今となっては、その土地、土地によって、必要とされるスキル等も違うので、幅広く勉強や仕事をしていた事が後で役立つと言う事があります。悩んだときは、とりあえず目の前にある勉強や仕事をコツコツこなす事が、将来につながって行くと言う事は後になってわかると思います。
-これは気をつけた方がいいということはありますか?
長井 特に始めのうちは、海外に住みながら日本の生活に逃げない方が、今後長く滞在するのであれば、後で楽かと思います。その国の事を知って、その国の人と関わって学んでいくと、その国のことも少しずつ好きになっていくし、生活もしやすくなると思います。私も元々イギリスに来るつもりでなかったのに、もう住んで8年目になり、快適に暮らしています。そういう経験も踏まえてそう思います。また、日本人同士のコネクションでためになる情報もいっぱいあったりするので、バランスを持ってつき合うと海外でも楽しく過ごせると思います。
-今日はありがとうございました。