Interview

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玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄玲奈さん プロフィール法村友井バレエ学校にて法村牧緒氏に師事。在学中、1990,1991 年にロシア・ワガノワ・バレエアカデミー、1995年にペルミ国立バレエ学校に短期留学。ジュニア科を経て同バレエ団入団。1999年〜2001年フランス、カンヌ高等バレエ学校に留学し、ロゼラハイタワーに師事。カンヌ・パレ・デ・フェスティバルでパキータの主役などを踊り、同校を最優秀の成績で修了、ディプロム・ドゥ・ロレアを授与。2001年よりオーストリア、グラーツオペラ劇場に入団。火の鳥、蝶々夫人、ロミオとジュリエット/ジュリエット・マキューシオ、春の祭典/女、眠れる森の美女/子供、他多数の作品にて主役又はソリストとして踊り、2005年よりディレクター・アシスタントを兼任。これまで30以上に及ぶ振付家とのクリエーションを経てクラシックからコンテンポラリー、オペラまでの幅広いジャンル作品に出演。ヨーロッパ内のダンスフェスティバルなどにゲスト出演し、オーストリア、フランス、スペイン、ハンガリー、ノルウェイ、スイスで踊る。また音楽家や演劇アクターと共にコラボレーションし、グラーツ芸術大学、グラーツ演劇劇場などのプロダクションに出演。2006年にスイス、チューリッヒにてS.I.W.I.C(スイス国際振付家ワークショップ)に参加。2007年ウィーン国際バレエコンクール・コンテンポラリー部門1位受賞者の作品を振付・指導。2008年8月、大阪にて“Carmen”を振付・主演。2011年7月、伊丹にて自身のプロデュース公演”Collage”を主催。2011年はオーストリア・クラーゲンフルト州立歌劇場で踊り、又ゲストティーチャーとしてヨーロッパ内のバレエ団、バレエ学校、ワークショップに招かれる。2010年、2012年には指揮者、西本智実氏が芸術監督を務める“宿命~ロミオとジュリエット”、”ロメオとジュリエッタ”の振付に携わる。現在、これまでの経験を生かしフリーランスダンサー、振付家、講師として活動する。
-まず玄さんの簡単な略歴を教えていただけますか?
玄 大阪出身です。小学校入学(7歳)の時に法村友井バレエ学校に入学しました。在学中、小学6年生の時に初めてロシアのワガノワバレエ学校に短期留学に行き、中学1年生、高校2年生と回を重ねました。高校2年生の時はペルミのバレエ学校に行きました。海外の環境に触れる機会がありましたが、その時に長期留学はせず日本で学び、高校卒業と同時に法村友井バレエ団に入団しました。バレエ団に3年少し在団してからフランスのカンヌのバレエ学校に2年留学しました。
-それはおいくつの時ですか?
玄 22歳です。その後、オーストリアのグラーツという街のオペラ劇場に入団し、そこに9年在籍し途中からダンサー兼ディレクターアシスタントもさせて頂きました。2年の留学を終え新たな気持ちでヨーロッパへ発つ時に、”ダンサーとして10年は絶対にヨーロッパにいるぞ”と自分の中で決めたんです。容易には習得出来ない芸の道ですから、まず10年必要!と。そしたら、あっと言う間に9年たって10年目という時期に、”何か違う方法で学びたい、チャレンジしたい”というのがあって、小屋を離れてフリーランスになりました。
-現地でフリーランスになったのですか?
玄 はい、現地を中心にです。劇場にいると沢山制約がありますので、チャレンジしたい事と”求められる事”との葛藤があり….。その後2年くらいフリーとして違う劇場やプロダクションで踊り、又ティーチャーやアシスタントとして劇場や学校に呼んで頂きました。ヨーロッパでは10年と決めていたのに長引いてしまい、これからどのように道を歩もうかな?と考えた時、自分がステージの中にいるよりも外に立って導いたり、作品を創ったりという比重が多くなっている事に気づき…。それらは自分にとって国や場所を選びませんでしたのでヨーロッパでなくてもいいなと。また、現地にいる間に東北の大震災があり、その惨事がとてもショックでした。確かな情報が入らず、家族や友人とも連絡も取れず。外国で長年いると家族や人の大切さを痛切に感じますから。そんな事も含めて一度日本に帰ってリスタートしようかと思い昨年帰国しました。
-7歳の時にバレエ学校に入った理由は何かあったのですか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 私の父がダンサーでした。法村友井バレエ団の団員だったんです。もっと早くから習いたかった私に父が「小さいうちは筋肉も弱いし、間違ったら足の形も悪くなる。先生の仰ることが理解出来る年齢になったらバレエ学校に入学していいよ。一年生になってからかな?」と言いましたので、小学校の入学式の次の日に、バレエ学校に入学しました(笑)
-いつもダンスがかなり近い所にあったのですね。
玄 そうですね。物心がついた頃には父と同じようにスタジオにいましたし、父が舞台に出る時には、一緒に楽屋入りして舞台リハーサルを観て…。と。また父は海外のバレエが大好きで家族を置いてでも、夜行に乗ってでも、東京へ公演を観にいくような人でした。幼い頃から魔術のように、”海外のバレエはいいよ〜〜”と言われていたんです。
-ワガノワに短期留学をされたということですが、もともと短期留学したいという思いはあったのですか?
玄 ”海外を見てみたい”という夢はありました。私が師事していた法村友井バレエ団の団長である法村牧緒先生が日本人で初めてワガノワバレエ学校に留学した方でした。常にロシアから先生を呼ばれて講習会をして下さりそれらを受けていました。法村先生がその当時では珍しかった”子供が海外に留学”するワガノワバレエ学校への短期留学の団長になられ「オーディションがあるので行きたい人は受けてもいいですよ」と言われ”する!”となり短期留学しました。
-22歳の時にフランスに行かれた決め手はあったのですか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 幼い頃より肌で感じたロシアが大好きでワガノワスタイルでずっと学んでいましたが、身体的に恵まれない自分にはロシアの学校へ長期留学するのはハードルが高すぎて、ジレンマを持ち続けながら習得するのは厳しいだろうと考えました。あとは、その頃からコンクールを通してコンテンポラリーというものに少しずつ触れるようになったからです。
-それは22歳の頃ですか?
玄 少し前です。当時日本で難関と言われた全日本コンクールというものがありました。課題曲2曲とコンテンポラリー(創作)1曲を用意するのですが、その時に振付をして下さった先生が、「これからの時代、表現の幅を広げたコンテンポラリーすごく大切になってくる」と仰り、未知なコンテンポラリーなども勉強できたらいいな〜という夢を持ちました。私はタイプ的に様式美だけで踊れるダンサーでなかったですし、創作も好きでしたので…。また...バレエってフランス語なんですよね(笑)。なぜバレエ用語はフランス語なの?と幼い頃からの謎とバレエは紀元はルネッサンスのイタリアからきて...ルイ14世が宮廷バレエとして踊り...フランスで栄え...という、根源的なものを勉強したかったんです。だから私はフランス又はヨーロッパの方に行きたいなと…。今の若い方のように海外に出て踊るとか、向こうで職を見つけて、という為の留学の仕方ではなかったのです。
-コンテンポラリーというか、モダンも勉強したいというのがあったのですね。
玄 それは絶対的にありましたね。
-実際にフランスに行って、ロシアと比較していかがでしたか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 全く違いました(笑)。メソッド的なものは勿論ですが、ロシアは行った当時、ソビエト連邦からロシアになる激動の時代。社会主義国の土壌を感じました。幼い私が感じた限りですが、戦って勝ち抜いた勝者だけバレエができる!みたいな。フランスは風土がゆったりとしていますし、バレエというよりも、文化のゆとりや民族性のおおらかさの違いの方が衝撃でした。それらから感じるバレエが”こんなに楽しくていいんだ”と思いました。レッスン場で泣いて、選ばれた子が前に行って…。みたいな感じじゃなくていいのかな?と(笑)
-その後、フランスからオーストリアに行かれましたが、また違いましたか?
玄 またまた全く違いますね。オーストリアは保守的だし、言語も響きが重いし、夜も冬も長い。すべてが湿っている感じですね。”音楽の国”だけあって、幼い頃からバイオリンやチェロなどの楽器に触れている方が沢山います。オペラやオペレッタがとても盛んで素晴らしい演奏や公演を鑑賞出来ますが、ダンスについてはヨーロッパの他の国に比べて落ち着いていると思います。
-グラーツは住んでいてどうでしたか?
玄 街も人々も素朴で豊かでした。自然に恵まれている街なので、春は大きな公園へ本を読みに、夏は湖へ泳ぎに、秋はぶどう畑に行きワインを楽しみ、冬は山へ行ってスキー…。と四季折々を満喫出来ました。特に劇場の前に立つ朝市!日付も朝か昼かも忘れてしまう劇場生活をニュートラルにしてくれたんです。農家で早朝に取られるお野菜や、果物。お花やソーセージ、小麦粉臭いおばあちゃんの作ったケーキなどがいつも所狭しと並んでいて、劇場に行く前に毎朝立ち寄っていましたので朝市が私の冷蔵庫になりました。
-ダンサーとしてグラーツはいかがでしたか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 ダンサーになると生活の優先順位よりも”踊る為”にその街にいます。仕事を選ぶのであっても住む街は二の次になりますが、幸運にもグラーツは生活するに快適な街!人間的な生活も豊かに営めて良いバランスを保てたかなと思いますね(笑)劇場に足を運んでくださる地元の方もとても温かかったです。
-それぞれの国での良い点、悪い点を教えていただけますか?
玄 ロシアは私が行ったのが20数年前ですから、リンゴ一つ買うにも長い列が出来、蛇口をひねれば茶色いお水が出る。日本人で正規で留学しているのは2人という時代なので12歳だった私には全てが厳しく感じました。門は重かったし伝統も外に漏れず確立し守られていたような気がします。当時の良い点は...THE ワガノワのスタイルを学ぶ事、厳しさを学ぶ事かな。あとは本当に美しい古き良きソビエトバレエの香りがまだありました。フランスについては。。大人になって意思を固めて行った国でもあるし、お勉強の身分でしたので悪い点はあまり思い出せないですね。フランス語の響きは美しく、学ぶ事に対しては10歳の子でも沢山教えてくれ、愛に溢れた国でした。オーストリアは働く為に行った国ですのでただただ精一杯でした。あとハンガリーやスペイン、ドイツなども滞在しましたが”EU圏”を知っていたら言葉と少しの風習が異なるだけで、衝撃的な違いはありませんでした。
-当時のロシアと比較して日本も厳しい国だと思うのですが。
玄 厳しさが違います。踊る事を選んだ人間が出来る世界でなく、選ばれた人間の絶対的な競争があると思います。身体的な事だけでなく、アーティストとしても…。あの競争世界の中で生き抜こうと思ったら、人間的にクールになるくらい、人とも自分とも戦わないといけないでしょうね。しかしマリンスキー劇場で観たバレエはこの世のモノと思えないほど美しかった事を今でも鮮明に覚えています。
-ダンスの留学先として、日本人にとっていい国はありますか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 何を目標に留学するのか?海外でプロのダンサーになる為なのか、日本では学べないスタイルを勉強する為なのかなど。。例えばプロになる為への準備としてだと、将来自分はどのようなカンパニーに入りたいのか?人それぞれの目標なので、日本人にとって良い国は分かりません。例えばヨーロッパでしたら大地がずっ〜と続いているので、私のようにフランスで学んだ後に、就職先がオーストリアになるという利点があります。ヨーロピアンスタイルというのは少し違いますが、国が変わってもアダプトしやすいんです。もしロシアで長年学んでヨーロッパに出ようとしたら培って来たモノや考えなどのギャップも多く、少し難しいかなと思います。ドイツオペラを学んだ方がイタリアオペラを歌うような感じ?でしょうか。ロシアで厳格なスタイルを学んだ場合はロシアや東欧などで踊られる方が多いように思います。もちろんロシアからヨーロッパに入団している方も沢山いますが、そういう方はソリストになれるような身体的資質もあり、機知にとんでいるように思います。
-逆にオーストリアで学んでフランスに行くこともできるということですよね?
玄 はい。例えばウィーン国立で学んで、フランスのカンパニーに行くというのも。国を選ぶというよりも、バレエの場合はその学校がどのようなメソッドとカリキュラムがあるかが重要になると思うんです。例えばアメリカの学校にいって、バランシンスタイルを学ぶとなった時に、ロシアスタイルのカンパニーに入れるか?となると難しいと思います。最初のスタートから、将来のビジョンを見据えた上で自分の目指すスタイルと、そのバレエ学校を通過した後にもどのような夢があるのかを問う事をお勧めします。プロを目指すならカンパニーがついている学校がいいのかな?なども…。
-カンパニーがついてる学校がいいということでしょうか?
玄 もちろんカンパニーがついていない学校も、教育面で問題はないですよ。上にカンパニーがついていても卒業後に入団出来るのはごく少数ですし、大抵の子はオーディション廻りをしないといけない。しかし将来目指すカンパニーの学校で学ぶ事は、常に憧れのダンサーの踊りや作品を肌で吸収できる素晴らしい経験だと思います。あとは学校で多くのジャンルを学べた方がいいですね。クラシック色が強い日本人生徒が”私は将来クラシックバレエが踊りたい!”と願っても、クラシック演目、いわゆる純クラシックバレエしかやっていないカンパニーはとても少ない。コンテンポラリーやジャズなども勉強できる所で自分の興味の幅を広げていき、キャパシティを増やして行けると素敵ですね。どのスタイルにも順応出来る多様性のあるダンサーが求められる時代ですし、その方が強いです。
-海外でプロになるにあたって、日本人が有利な点、不利な点はありますか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 日本人に有利なことはないですね(笑)。
-逆に不利な点はありますか?
玄 アーティスティックな面よりも生活面において就労ビザの取得が難しいことです。例えばヨーロッパの人はEU圏でどこでも仕事ができます。フリーランスにもなれるし、少しダンサーとしてブレイクが欲しいと思えばパン屋さんにもなれる(笑)精神的なフリーダムが大きいと思います。外国人の場合は就労ビザを取得してくれる組織でしか働けません。そうすると、ヨーロッパでは劇場のお仕事になるか、小さなカンパニーであっても就労ビザをきちんと出してくれる所じゃないといけない。その分枠が狭く難しくなってきますよね。
-体型的な面ではどうですか?
玄 今の若いダンサーはスタイルはいいのですが、ヨーロッパの国立劇場級のダンサーになりたいなら、最低165cmはないといけません。そう打ち出している劇場が多いので小柄な日本人は身長において不利です。日本人の体型も良くなってきているけれども、それと同じく西洋人の体型もよくなってきているので、その差は埋められない気がします。その分、違うところで勝負しないといけない。
-海外でプロになるステップとしては、どのような形が一番いいのでしょう?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 私が考える事ですが…。若くして海外を目指すなら、まずサマーなどの短期留学などで外国に触れてみて、ダンスだけでなく生活がきちんと出来るのかを判断する事が大切ですね。日本人の若い方は特にダンスに重きを置き過ぎている気がしますので。本当に若い、高校も卒業していない人がどんどん海外に出ていますが、人としての成長を伴う事なくしてダンスの技術だけ向上しても仕方がないと考えます。現地でも中、高校と同様の規律がある学校で”郷に入っては郷に従え”も学ばないと、将来カンパニーに入っても厳しいとかな。。カンパニーでは一つの組織として一般的な会社と同じような規律がありますから。学校で現地の人たちに触れて、言葉もきちんと喋りコミュニケーションするなど日本人だけで固まらないで欲しいと思っています。するとオーディション廻りでも沢山の出会いを得る事が出来、またそこからチャンスが広がっていくと思います。
-海外でプロのダンサーになる秘訣や条件はありますか?
玄 まず一人の”人”として生活し、自分という芯、軸を持つ事です。アーティストとして自分は何が出来て、何がしたくて、何を求められているか?なども理性をもってキャッチする力。厳しい言い方をすれば、ダンサーは、掃いて捨てるほどいるんです。夢を見る人の数に対してプロとしての枠がとても少ない。そして特にクリエーション時には自分の存在が感じられない時や、チェスのピースのように感じる事もある。働く相手はこだわりの強いアーティストなの物差しで測れない感覚がある事が多いですが、人の価値観だけで自分を評価しない事です。評価での例を一つをあげると、私の踊りに対してイギリスとアメリカでレビューがあったのですが、イギリスではなんてひどい!と書かれ、一方アメリカではとても素晴らしい!書かれたんです。このように他人の言う事を軸にしてしまうと惑わされてしまう。参考にする事は大事ですが全て鵜呑みでは自分を見失いますので慎重に耳を傾けないといけません。あとはダンスだけでなく美術館に行ったり、旅に出たり、オペラや演劇を観たり、と違う方向からも視野を広げ、感性や探究心を養い続ける事はとても大切だと思います。
-技術も必要ですが、精神的な所が大きいのですね。
玄 そうですね。意固地になりすぎると入って来るものを遮断しかねないので、そこのバランスは大切だと思います。ダンスは麻薬だと思うんです。全てを投げ打ってもダンスに没頭し夢を追いかける。その気持ちに対して親御さんも応援し若くして留学する。とても素晴らしいと思いますが、今は簡単に海外に留学に行けるようになりプロになる道に近づいた気持ちになるけれど、プロになる枠は増えていない。全員が職にはつけない厳しい現実を見据えないといけない。成人にならない時期にそうなると早くに夢に破れた感で鬱のようになってしまうお子さんもいるんです。すべてを投げても賭けるという気持ちは大事ですが、あまりに早く親御さんから離れて、人として愛情を知らないとダメなんじゃないかなと思っています。
-玄さんにとってダンスとは、何でしょうか?
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 私にとっては、血です。幼い頃から踊りに触れ、そこが軸となって今まで生かされてきました。”大切な宝物”というのは勿論ですが、ダンスを通して海外に出て土壌を感じ、留学時代には文化や言葉を学び、カンパニー時代には踊る作品を通じて音楽、美術や歴史的な事も学びました。私にとってのダンスはピルエットを5回、6回とまわる技術一辺倒のものでなく、人生を常に探求させてくれる、ワクワクさせてくれるもの。数字では表せない世界です。
-今後のダンスでの夢はありますか?
玄 これまでの経験を生かし、これからの時代を担う若い方達の応援をしていきたい思いと、”ささやかな感動”を発信していきたいです。ダンスそのものは無形のものなので、それを観てくださる方にとって有形に出来るものにしていきたいです。
-しばらくは日本で活動されるのですか?
玄 海外の同士からお声をかけて頂く事もありますので、時期が合えば行ったりしますがなかなか難しいですね。日本では指揮者の西本智実さんが率いるイルミナートフィルハーモニーオーケストラでバレエのアンサンブルも作られたのです。私もそのアンサンブルの1メンバーになっていて、昨年も”ロメオとジュリエッタ”の振付をさせて頂きました。クリエーション活動も一つの軸として、今までの経験を生かして活動できたらいいなという夢があります。自らも踊る事に触れていたいと思いますが、ダンスの道は踊るだけでなく、教えや創作、舞台との関わり全てだと思いますのでこれからは視野をもう一段階広くして行きたいと思います。
-プロになりたい、これから海外に出ようという方にアドバイスをお願いします。
玄玲奈さん/ダンサー・振付家・講師/オーストリア・グラーツなど玄 ダンスの世界は本当に素晴らしい!なので諦めないで欲しいし夢を持ち続けて欲しい。小学校1年生のように常にピュアでいられたらいいなと思います。あと大切な事は健康管理。ダンサーの身体は資本ですし楽器ですから丁寧にケアしないといけません。若い人に対しては食事面、海外に出ると目新しい食べ物や甘いものが沢山あって、思春期の方は特に身体の変化と共に丸くなってしまいます。だから「きちんとご飯を食べなさいよ〜」といつも言っています。あと受動態でなく能動態の行動を取る事!日本人は答えをすぐに求めて、相手は何をやったらよしと言ってくれるんだろう、と受け身から行動をスタートする傾向に感じます。ああかな、こうかなと自らが率先して行動すると目がその人にいくんですよね。ダンスの中でも特にバレエは美しく、また儚い世界。若い人達の芸術だとも言われています。アスリート的な要素を必要としますので若くエネルギーのある時期に走り抜いて欲しいと願います。そし出発時に描いた夢がどんどん移ろっていく様を楽しんでください。